“みんなごと”のSNSとどう付き合うか
どうもお久しぶりです。コピーライターのYUKIです。
先日、「OUT」などたくさんのヒット作を生み出した大好きな作家で、
日本ペンクラブ・桐野夏生会長が何か緊急声明を出したということで、
早速YouTube動画を見て、『あぁ、桐野夏生先生はやっぱり素敵だなぁ』と
見惚れつつも内容はちゃんと理解したつもりです。
選挙期間中の差別言動やデマの拡散に対する注意喚起で、
ファクトチェックされずに拡散されていくSNSの利用について危惧していらっしゃって、
デマやヘイトを利用して煽ってくる候補者や政党などに
注意するよう呼びかけていらっしゃいました。
【日本ペンクラブ緊急声明・会見】選挙期間中の差別言動やデマの拡散に関し
それはそれとして、私は桐野夏生先生のこの発言(19:16くらい)から
ちょっと思うところがあって、久々にブログを書いてみました。
「SNSの世界での言葉っていうのが私たちが書いている本の世界とか新聞とか、そういうテキストとまたちょっと違うと思うんですね、軽いと言いますか。全然精査されない、誤植も多いし、全く誰か客観的な目も入っていない言葉が溢れているわけですね、SNSは。だからそういうものを見ると私たちが、言葉を使って仕事をしていますけども、仕事で使っている言葉と、SNS上で交わされる言葉と全然違うものであると感じています。そのSNS上の軽い言葉がいま表にバーンと出てきている感じがして、そこはものすごく違和感がありますし、それは違うというふうに言っていきたいと思います」
SNSというメディア、SNS上で使われる言葉と文筆業として使う言葉の違いについて
書いてみました。
“ひとりごと”を“みんなごと”にするSNSというメディア
家の中でひとりで誰かを悪様に言ったとしても
誰も気づかないし何の問題もないですね。
ですが、その意識のままSNSに悪口を書き込んで、
世界中の人が見たら“誹謗中傷”となり、ともすれば裁判沙汰になったり、
そこを発端として誰かが自死する可能性も出てくることもあるでしょう。
フェイクニュースについても同じで、ひとりで何か作り話をして楽しむ、
もしくは身近な誰かにいたずらするくらいの気持ちで
投稿してしまって大バズりした後で非難されることもありそうです。
それは、このSNSという“パーソナルでありながら世界中と繋がれる”メディアの
不思議な特性によるところが大きいのだと思います。
家の中だと個人の意見は“ただのひとりごと”。
SNS上での個人の意見は“誰もが読めるみんなごと”なのです。
SNSのアカウントを持つということは、
個人が世界に発信できるメディアを持つということなのだと意識することが、
まずは重要なのでしょう。
そういう自覚を持って、有名人同様、
自分の公式アカウントで発言していると意識した方がいいと思う。
部屋着でひとりごとをつぶやいているのではなく、
正装してオフィシャルな場で発言しているという感覚を持つことで
ある程度のトラブルは避けられるのではないかと考えます。
さて、ここまでは心構えの話ですが、次にどんな言葉をどう伝えるか、についてです。
刺激的で攻撃的な言葉は疑ってかかる
最近のSNSでは、バズるやバエる、ウケることが最善とされ、
それが上手いインフルエンサーやユーチューバーが注目を集めています。
それを非難するつもりはありません。
いつの世も人間というものは認められたいし、褒められたいし、
人気者になりたいものです。私だってそうです。
でも、自分の“何をどこで”認められたいのかにすごくこだわっています。
何でもかんでも認められたい、バズらせてお金が入ってくるようにしたいのであれば、
迷惑系ユーチューバーでもやっていることでしょう(笑)。
私はやっぱり“広告屋またはコピーライターとして、
実社会の中で”認められたいわけです。
ネット上、またはSNS上でとにかく強い言葉を発して
注目を集めて名声や収益を得るって、
私的にはどこか不健全な気がしています。
SNSでは、何でもいいから衝撃的なことを書くとバズるし、
強い言い回しほどウケるから、どんどんそういう内容のものが拡散されていきます。
これは、基本的にキャッチフレーズ開発ととてもよく似ています。
とにかく、消費者の心をキャッチするために、その商品に関わる短くて強い言葉を探します。
そのひと言で人を振り向かせて買っていただくように持っていく。
誤解を恐れずに言うと、それが仕事みたいなところあります。
ですが、その一方で、商品の魅力を“過不足なく”伝えるということも考えます
(個人のポリシーや企業の姿勢によるところも大きいですが) 。
例えば、化粧品などは薬機法で簡単に「シワがなくなる!消える!」などと書けません。
最高などの最上級表現もエビデンスがあるかどうかなど厳しくチェックされるため、
もの凄く気を遣うわけです。
つまり、昨今問題になっているファクトチェックをしてOKが出た言葉が
世に出ていくわけです。
余談ですが、SNSで気軽に〜に効いた!〜最高!などなど
強い言葉を気楽に使っているのを見ると、あぁ羨ましいと思います(笑)。
ベストセラー作家の桐野夏生会長は、ずっと小説を書いてこられて、
出版業界で様々なチェックを受け、
やっと作品が世に送り出されるということをおそらく何度も繰り返されている方です。
その方が、「全然精査されない、誤植も多いし、
全く誰か客観的な目も入っていない言葉が溢れている」と言っておられます。
ノーチェックで気軽に言葉を世に送り出せるSNSを見て、
デマも差別も何でもありの状態を危惧していらっしゃるんだろうなと思いました。
やはり文筆業を生業としているで仕事をしている人間は、
言葉の持つ力を自覚しないまま簡単に世に放たれることの怖さを知っています。
広告表現だって、いくら精査していても配慮が足りない、
男女差別だと叩かれ、取り下げることもよくあるのですから。
文筆業の方々はそうでない方より、言葉や情報の扱い方を肌で知っている気はします。
ファクトチェックの必要がない話題を楽しむ
では、そうでない方々はどうすればいいでしょうか。
私はSNSをパーソナルメディアだと思わないこと、公に文章を発表する場と捉え、
読み手の気持ちを想像して、できるだけ優しく柔らかい言葉を使うようにすることです。
言葉は毒も薬にもなるモルヒネのようなもの。
なるべく良い効果を生むような処方を心掛ける感じでしょうか。
『仕事でもないのにそんなにところで気を使いたくない、気楽に発信したいわ』
と思うのであれば、
強い内容や強い言葉は余程のことがない限り書かない、
つまり、バズる・バエる・ウケるを狙わないことです
(思うにこれを狙っている人はそれが仕事の人が多いような)。
実は私がそうなんですが、SNSでは好きなアイドルや食べ物やお酒の話ばかりです(笑)。
お金にならないのに真面目に文章を書くのは、
何だかもったいないというところもあります。
なので、今日あった楽しかったことや見つけたおもしろ動画について語ったり、
まったりのんびり楽しんでいます。
どうしても悪口が言いたくなったときは、その相手が誰かわからない、
もしくは特定されないようにします(笑)。
誰もがSNSを使えるようになって、
ひとりひとりがメディアを持てることはとても幸せなことだと思います。
巨大地震など何かがあったらそこで訴えれば誰かが反応してくれる。
me too運動のように弱者に味方に増えて、巨大な何かと闘えるるようになる。
それはとても素晴らしいことです。
だからこそ、自分のアカウントがずっと信頼されるように、
嘘やデマは書かないもしくは拡散しない、良い言葉や優しい言葉を使う、
最低でも関係のない誰かを傷つけない言葉・内容を心掛けたいものです。
最後に誰かの心に残ったり沁みるのは、
強く刺激的な言葉より地味でも優しくてあたたかい言葉なんだと、最近よく思います。
実は仕事でもそっちの方を書きたかったりするのですが、
強く刺激的な方が評価されますね(笑)。
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